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サモア


サモア独立国
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2016年7月22日更新

サモア独立国の概要

赤道の南1,200km、南太平洋の中心に位置するサモア諸島は、日付変更線のすぐ近く西経171度線の両側にあり、その西側のサモア独立国(以下サモア)と東側のアメリカ合衆国領サモア(以下=米領サモア)に分かれている。サモアは1962年の独立時には西サモア独立国と呼ばれていたが、1997年に現在の国名に変更された。

サモアは、首都アピア(Apia)のあるウポル島(Upolu)と、その東海上15kmにあるサバイイ島(Savaii)の2つの大きな火山島で構成されている。その100km東にはツツイラ島を主島とする米領サモアがある。

両サモアは、その言語、伝統・習慣は同じであるが、人々の生活態度から受ける印象には大きな違いが感じられる。米領サモアは、公的部門へのドル投入、アメリカ資本による漁業開発の結果、完全に貨幣経済社会へ移行した。また、労働人口の3分の1は米国政府の関連施設で働いている。食生活も輸入された缶詰や冷凍食品が徐々に伝統的な食事のスタイルを変化させてきている。

一方、サモアは、素朴で伝統的なポリネシアの慣習を守って生活している代表的な国である。多くの南太平洋の国が外国からの影響を受けることで独自の伝統を維持することが困難になっているが、サモアは、自給自足経済への依存度が高く、本来の伝統を最も色濃く残している国とされている。

立地

サモアは、ニュージーランドの北2,300km、ハワイの南3,700kmの南太平洋上に位置する広さ2,935k㎡(鳥取県より少し小さい)の島国である。東には米領サモアを挟んでクック諸島、南にトンガ王国、そして北にはニュージーランド領のトケラウ諸島が連なる。サモアは、主にサバイイ島(面積1,700k㎡)とウポル島(1,115k㎡)の2つの大きな島などで構成されている。大きな2島は18kmの海峡を挟んでいるが、その間には2つの小島、マノノ島(人口600人)とアポリマ島(人口150人)がある。サバイイ島とウポル島はともに火山島であり、サバイイ島にあるサモアの最高峰シリシリ山(Mt. Silisili)は標高が1,858mある。

気候

1日の気温の変化は21℃〜30℃で5月から10月までが乾季、11月から4月が雨季になる。最も雨が多いのは12月から2月である。

1月の雨量は平均で500mm弱にもなり、そのほとんどは夜に降る。1年を通して湿度が高いが、4月から10月は南東の貿易風によってかなり和らげられる。

 

歴史

●先史時代

サモアの祖先がどこからやってきたかを明確に知ることはできないが、ウポル島には紀元前1000年頃に人々が生活していたとされている。また、サモアに残る伝説には、フィジーあるいはトンガとの深いつながりが感じられるようなものがある。紀元950年にはトンガ人がサバイイ島を支配していたとの言い伝えも残されている。

●西洋との接触

1722年オランダ人が現在の米領サモアの小島に近づきマヌーア島と命名したことが記録されている。1768年にはフランス人探検家がこの島に上陸し住民と接触した。次いで1787年に同じくフランス人が現在の米領サモアのツツイラ島に上陸した。1800年代前半には多くのヨーロッパ人がサモアに定住していたといわれている。

1828年にメソジスト派の宣教師が初めてサモアに上陸したが、その時点では既にキリスト教を受け入れる素地ができていた。その後はイギリスやイタリアのローマ、そしてアメリカから宣教師や伝道師がサモアの島々を訪れ布教を開始した。

また、1850年以降になると貿易を目的としたヨーロッパからの移住者も増加し、特にドイツは土地の購入や入植者の送り込みにも積極的であった。

●3国統治の時代

ファレラライにあるキリスト教会
ファレラライにあるキリスト教会

19世紀後半には、サモアの伝統的な地位を有する2家系が東西に別れ、住民を巻き込んだ権力闘争を繰り返していた。この闘争にドイツと米・英両国の主導権争いが絡んで混乱が絶えなかった。さらにサモアは、米国に申し出ていた海軍基地の提供を英国とドイツにも提供することにしたため、混乱の収拾の目処が全く立たない状況となった。そして1889年、ベルリンにおいてドイツ・米国・英国の3国は、3国が派遣する領事が、任命されたサモア人国王を補佐して統治を行うというベルリン条約を締結した。

しかしこの条約はまったく効果なく、東西に別れての権力闘争が続いたことから、1899年12月に再び3国間条約が締結された。すなわち、サモア諸島の東部を米国、西部をドイツが統治し、これまでドイツが権利を出張していたニウエ、トンガ、ソロモン諸島からドイツが撤退することを条件に、英国はサモアの権利を放棄した。これ以降、サモア諸島は東西に分裂した歴史を歩むことになった。

 

●西サモアとドイツの時代

1900年2月、ドイツは、西サモアを統治するためにドイツ人知事を任命した。当初の数年間は比較的平穏が続いたが、植民地としての支配が強くなるに従ってサモア人の不満がつのり、また伝統を無視したドイツ人知事への反発もあって、これがレジスタンス運動へと発展していった。

1905年にサバイイ島の火山噴火があり、西サモアの状況は一変することになった。噴火は1910年まで続き、その間レジスタンスによる反政府運動もあり、ドイツはサバイイ島から退去することになった。

●独立への道のり

1914年、第1次世界大戦が勃発し、ドイツ敗戦により、ニュージーランドが西サモアに進駐した。

第2次世界大戦の勃発によって一時的に米軍が西サモアに進駐したが、1945年にはニュージーランドの施政下で国際連合信託統治地域となった。

1947年には、西サモアの地方自治体が集まり、ニュージーランドの支援を受ける形で議会を設置し、1954年に憲法制定のための初議会が開かれた。

1961年1月、独立に向けての要請を国連に行い、住民投票を経て、1962年1月「西サモア独立国」の名称の下に独立。1997年、国名を「サモア独立国」に変更した。

政治

サモアは立憲君主国家であり、国家元首は事実上代表的な4部族の長の中から選ばれる。現在の国家元首はトゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ。国家元首に実質的な権力はなく、国事行為はすべて議会の承認によって行う。政府は、首相と12人の閣僚によって構成されている。

議会は1院制で49議席からなる。1990年の国民投票によって、21歳以上のすべての国民に選挙権が与えられたが、被選挙権は「マタイ」の称号を持つ者にしか認められていない。

サモア独立国の政治の特徴は地方自治の形態にあり、とくに村の単位では、現在でも一族の長を中心とした伝統的な運営がなされている。

経済

ウポル島とサバイイ島、その周辺の小さな島々からなるサモアの経済活動は小規模で、ココナツやタロイモなどの伝統的農業に依存しており、90年代半ばからの経済成長も漁業、農業、観光が大きく貢献した。現在、労働人口の60%が従事している農業のGDP(国内総生産)に占める割合が徐々に減少しつつあり、2004年には、ニュージーランド、豪州、米国に住むサモア人からの仕送りがGDPの19.3%を占め、重要な国家収入になっている。民間企業としては最大企業であるヤザキ・サモアが最盛期には2,000人以上の現地人を雇用し、自動車用ワイヤー・ハーネスを生産しており、サモアの豪州への輸出の殆どを占めている。

社会と人々

教会から家路につく人々
教会から家路につく人々

サモアの人々は古い伝統に則した社会システムを守っている。そのシステムは厳格であるが、逆に人々は底抜けに陽気な様子を見せている。すべての村には、1日の仕事を終えた人々が集まってくる広場がある。そこで彼らは、キリキティ(kirikiti)と呼ばれるサモアのクリケットやバレーボールを楽しむ。人々は歌を愛し、1日中でも歌って飽きることを知らない。そして日曜日には教会に出かけ、賛美歌を歌う。富んでいる人は少ないが、貧しい人もいない。人々は友好的で、外国からの訪問者を暖かく迎える。

 

●サモアのダンスはフィアフィア(Fiafia)

一般的に知られているのは、木製の太鼓が作り出すリズムに乗って演じられる火とナイフを使う劇的で勇壮なダンスである。本来は村の行事として行われていたものが、現在では観光客向けに大きなホテルでディナーショーとして演じられ、人気が高い。

なお、ホテルなどのフィアフィアショーの日程は直前に変更されることがあり、宿泊客が少ない時などは取り消されることもあるので注意しよう。

サモアのダンス”フィアフィア”
サモアのダンス”フィアフィア”

●アヴァ(Ava)(一般にはカヴァ(Kava)と呼ばれる)の儀式

「カヴァの儀式」は、酋長会議や客人のもてなし、冠婚葬祭などの始まりに催される厳粛なセレモニーで、複雑な手順と作法がある。そのため、「南太平洋の茶道」とも言われ、サモアの他にフィジーやトンガなどにもある。

カヴァとはコショウ科の草木で、その根を乾燥させて細かく砕き、タノアと呼ばれる大きな木鉢の中で水と混ぜて作る飲み物で、薄茶色の濁り水のように見える。アルコール成分、カフェイン成分は全くなく、口に入れても舌先にピリッと感じる程度で、強い味はない。インスタントで作れるパウダーも売られており、また肝臓の妙薬としてドイツへも輸出されていたが、2000年に肝臓に悪影響があるとしてドイツ、英国、フランスが輸入を禁止、続いてEU、北米、日本も輸入を禁止した。その後、スコットランド・アバディーン大学とルクセンブルグ癌生物分子研究所により抗癌作用が確認され、国際カヴァ委員会では欧州の輸入解禁を求め、活動を始めている。

●音楽

サモア人の音楽好きはよく知られているが、同時に音楽に対する才能が豊かなことも事実である。楽器を弾く能力は、ポリネシアの人々の生まれつきの才能であるように思われる。

旅行者へのアドバイス

日本からのアクセス

日本からサモアに旅行する場合、一般的なルートとして、ニュージーランド航空を使ってニュージーランドのオークランド経由アピアに入るルートである。他にもフィジーのナンディから入るルートもある。

なお、詳しくは、航空会社、旅行代理店に問い合わせられたい。

パスポートとビザ

60日以内の滞在なら、商用、観光を問わずビザは不要。ただし、帰りの航空券を所持していない場合は入国できない。滞在が許可される期間は、到着時に提出する入国カードの記載した日数になるので注意が必要。また、入国カードには滞在先を明記する必要があるので、ホテル名など正確に記載できるようにしておくこと。

パスポートは滞在日数+6ヶ月以上の残存期間が必要。

税関

アルコール類は1本以内、たばこは200本まで無税。生きている動物は持ち込めない。また、植物や肉類は許可が必要となる。

入・出国手続き

ターミナルビルの入国窓口で滞在日数と入国目的を聞かれるが、形式的なものであり簡単に済む。

入国時の必要書類は入国カードと税関申告書。2枚つづりになっており、入国審査時に税関申告書は戻されるので、税関検査時に係官に渡す。

出国税は航空券代に含まれている。

時差

日本より4時間早い。日本が正午のとき、サモアは午後4時。

サマータイム(9月末~4月初め)まであり、サマータイム中は5時間早い。

通過と両替

サモアの通貨はタラ(Samoan Tala)で、サモア・ドルともいう。紙幣は、2、5、10、20、50、100タラの6種類、硬貨は1、2、5、10、20、50セネ(sene)と1タラがある。1タラは100セネ。

ホテルの支払いは米ドルなどで可能だが、一般的にはタラで支払う。市内にある豪州系のANZ銀行(オーストラリア・ニュージーランド銀行)、ウェストパック銀行およびサモア中央銀行の本支店で両替ができる。また、アピア市内にはサモア・ファイナンス(Samoa Finance Co. Ltd.)およびウエスタン・ユニオン(Western Union Agency)の2つの両替所がある。空港でも両替が可能だが、到着が早朝や夜間の場合は営業していないので、到着時間を確認しておきたい。

ANZ銀行とウェストパック銀行(アピア中心街に2箇所)のATMでは現金両替にクレジットカードが使える。現在為替レートは、1タラ=40.34円(2016年6月現在)となっている。

クレジットカード

主要なホテルやレストラン、みやげ物店ではビザやマスターカード、アメックス、ダイナース、VISAが利用できる。

交通機関

●バス

サモアのバスはカラフル
サモアのバスはカラフル

ウポル島(アピア)、サバイイ島では、バスが住民の足となっている。トラックを改造したカラフルなバスは旅行者も利用できるが、バスの行き先(終点)の名前がバスの名前となっており、運転手にどのバスに乗ればよいか聞くこと。時間表、料金については、サモア観光局旅行案内所(Samoa Visitors Bureau)で入手できるが、午後は時間通りに運行されることは稀なので注意すること。

 

●レンタカー

サモアナ・レンタルス(Samoana Rentals)、 ファンウェイ・レンタルス(Funway Rentals)、バジェット・カー・レンタルス(Budget Car Rentals)の3社がサービスを行っており、ドライブも楽しい。日本の国際免許証だけでは運転は出来ないので、ツーリスト専用の免許証を取得する必要がある。料金は20タラである。レンタカー会社でも手続きが出来る。(専用免許証の交付手続きの場所は、ウポル島(アピア)、サバイイ島の一般事情の項を参照。)レンタカーのほとんどは人身事故の保険付与はなく車両保険のみである。料金は、目安としてガソリン代別で、中型クラスの普通乗用車だと1日150~200タラ程度である。

●タクシー

メーター制ではなく、政府により料金が決められている。アピア市内であれば3~5タラ程度。料金表のコピーは、交通管制局(Transport Control Board)で、また主要な場所までの料金は、サモア観光局旅行案内所(Samoa Visitors Bureau)で分かる。利用する前には必ず運転手に料金を確認すること。ナンバープレートにTの字があればタクシーである。

●フェリー

ウポル島とサバイイ島の間には、サモア・シッピング会社(Samoa Shipping Corporation)によるフェリーのサービスがある(1日3~4往復)。

通信

●一般事情

国内電話・国際電話・携帯電話ともに、民間企業であるBlue Sky SamoaおよびDigicel Samoaがサービスを提供している。公衆電話は存在しない。

●国内電話

ダイヤル桁数は5桁で、市外局番はない。固定電話の料金は、ウポル島内では、5セネ/分+15%(消費税)、ウポル島外では、21セネ/分+15%である。なお、携帯電話にかけた場合は、1通話32セネ/分+15%である。

●国際電話

直通ダイヤル方式。回線状態はあまり良くなく、日本へは夜間の方が状態は良い。

●携帯電話

携帯電話が普及しており、Blue Sky SamoaおよびDigicel Samoaがサービスを提供している。ほぼ国内全域をカバーしている。なお、携帯電話のダイヤル桁数は7桁。

●インターネット

インターネットカフェはアピア市内に数か所ある。サバイイ島では、サレロロガのBlue Bird Mole内とWharf ビルの2階の2か所ある。

電気

240V、50Hz。プラグの型はO型でオーストラリアやニュージーランドと同じ「ハ」の字型の2ピンまたは3ピンプラグ。日本製品を使用する場合、変換用のアダプターが必要。

飲料水

首都アピアでは原則として水道水は飲めるが、旅行者には念のため市販のミネラル・ウォーターを飲むことをお勧めする。また、レストラン、ナイトクラブ、バーなどで使われる氷は、浄化した水を使っており一応安全と思われるが、心配なら事前にウェーターに聞くこと。

病気

マラリアの心配はないが、たまにデング熱が発生する。デング熱は病原菌を持つ蚊に昼間に刺されることにより感染するので、熱帯地域用の防虫剤(ウェット・ティシュー・タイプ)などを用意すること。スプレーは持ち込めない。

チップ

日常生活でチップの習慣がないので、余程のことがない限りチップを出すことは好ましくないとされている。

服装

1年を通じて薄手の夏服で過ごす。但し、夜間、寒くなるので薄手の上着を用意すると良い。ホテルやレストランではカジュアルなイブニング・ウェアーが適当である。

現地行動のエチケット

サモアでは、旅行者は温かく迎えられる。しかし、現地のしきたりもあり、海岸も含め村に入る時は、次のことに注意しよう。

・夜のお祈りの時間(午後6時〜7時の間10分〜20分程度)は外出を控えよう。通常、開始時と終了時にはベルやホラ貝で合図がある。

・日曜日には多くのアトラクションが行われるが、安息日でもあり、出来るだけ静かに、ゆっくりと行動しよう。

・トラブルを起こすことにもなりかねないので、肌もあらわな服装は避けよう。

・女性が教会に行く場合、ズボンや短パンを避け、 ラバラバ(男女が腰に巻く衣類)を着用しよう。

・日曜日には殆どの店が閉店するので、必要なものは前日に揃えておこう。

・水泳や甲羅干しをする場合、ヌード姿やトップレス姿は厳禁。

・ファレ(サモアの伝統的な円形、楕円形の建物)に入る場合は、靴を脱ごう。

・ファレでは老人が座っている場合、決して立ったままにならないようにしよう。

・ファレで座る場合、足を他の人に向けないようにする。足を組んだり、ラバラバで隠すようにしよう。

・写真をとる場合、必ず事前に許可をとろう。

・ねだられても子供たちにお金をあげることはしないようにしよう。

情報収集のソース

●現地

サモア観光局

Samoa Tourism Authority
TEL 63500/20669

右手の伝統的な屋根の建物が観光局
右手の伝統的な屋根の建物が観光局

サモアの首都アピアのメインストリートにあり、伝統的なファレを現代風にアレンジした建物なのですぐ目につく。地図やパンフレットが入手でき、職員は質問に気軽に対応してくれる。

オフィスの営業時間は、平日が8時〜16時30分、土曜日は正午まで。

 

●日本

ニュージーランド航空

TEL 03-3287-6311

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